大和郡山市と金魚の歴史
金魚は中国から室町時代に伝来して、今年でちょうど500年になります。大和郡山と金魚の縁は、江戸時代に柳沢家が転封して来た際に甲府から持って来たものです。金魚はかっては大変な高級魚で、貴族や豪商の愛玩物として珍重されましたが、明治以後は庶民の間でも飼うことが流行するようになります。幕末の頃になると、藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。もっともこれには最後の大和郡山藩主柳澤保申候のおしみない援助があったことが大きいと言われています。また、これら歴史的背景に加え、自然条件としては水質、水利に恵まれた農業用溜池が数多くあり、溜池に発生する浮遊生物(ミジンコ類)が金魚の稚魚の餌に適していたことなど、有利な条件が備わっていました。昭和40年代は経済発展と養殖技術の進歩に伴い生産量が年々増加し、国内はもとより欧米諸国や、東南アジアなど外国まで輸出されました。近年は都市化に伴う水質汚濁等の環境悪化などで生産量は減少したものの、養殖農家約80戸、養殖面積約100haで、年間金魚約8000万匹、錦鯉約200万匹が生産し、国内はもとより、欧米諸国や東南アジアにも輸出しています。また、金魚品評会が毎年4月上旬桜花満開の頃、金魚にゆかりの深い柳澤神社で行われ、市民はもちろん、近郊の愛好家にも好評を博しています。
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